話題のnarcissistic abuseって何? 行方不明事件でも出た「診断」の意外な真実とは

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SNSでよく見かける言葉に“narcissistic abuse”があります。“Narcissistic abuse syndrome”や“narcissistic victim syndrome”や“narcissistic abuse victim syndrome”と呼ばれることもあります。これはどのような意味でしょうか?

実は、この言葉の陰には意外な事実がかくされているのです。

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Narcissistic abuseの使用例

2021年9月にワイオミング州で行方不明になったギャビー・ペティト(Gabby Petito)さんの事件で、ギャビーさんの交際相手でギャビーさんを殺害したことが疑われているブライアン・ランドリー(Brian Laundrie)容疑者について、このように言われていました。

直訳すると、「ギャビー・ぺティトさんはブライアン・ランドリーから自己愛的虐待(narcissistic abuse)の被害にあったと思う?」でしょうか。ランドリー容疑者には特異な性格傾向があって、それがギャビーさんの殺害につながったという見立てのようです。

YouTuberについてもこの言葉が使われていることがあります。

家族チャンネルのエース・ファミリー(The Ace family)の父親オースティンの弟ランドン・マクブルーム別れたシャイラは、ランドンがnarcissistic abuserだったと言っていました。生計を支えていたのはシャイラだったのに、ランドンはいつもシャイラを口汚く罵り、子どもや財産を奪っていったというのです。

YouTuberのギャビー・ハナ(Gabbie Hanna)仲が悪くなった元友人のジェシー・スマイルズ(Jessi Smiles)について、narcissistic abuserだといつも言っていました。

YouTuberによくある性格や事象のようです。亡くなったギャビーさんとランドリー容疑者もまたYouTuberでした。

実は、心理学的・精神医学的には存在しない!

“Narcissism”を訳せば「自己愛」です。精神医学では「自己愛性パーソナリティ障害」と呼ばれる障害があることが知られています。自己愛性パーソナリティ障害の患者は他者からの批判に怒りを覚え、反撃することがあります。すると、narcissistic abuse syndromeはこれらの患者による虐待の結果生ずるもので、narcissistic victim syndromeやnarcissistic abuse victim syndromeは彼らに虐待された人に起こることだということになります。

ところが、SNSでよく使われているにもかかわらず、実はnarcissistic abuse syndromeなるものは存在しないのです。

心理カウンセラーYouTuberのドクター・トッド(Dr. Todd Grande)2がこの事情を説明しています。

The Truth about "Narcissistic Abuse Syndrome" | "Narcisstic Victim Syndrome"

前提として自己愛性パーソナリティ障害や反社会性パーソナリティ障害の患者による虐待は実在します。これは重大な社会問題です。

しかし、ドクター・トッドによれば、narcissistic abuse syndromeなる「症候群(syndrome)」は精神障害として専門家から認められたものではありません。世界で標準的に使われている精神疾患の分類DSMにも入っていません。Narcissistic abuse syndromeのチェックリストなるものを見ると、それはPTSDの基準によく似ていますが、同じではありません。

このように、narcissistic abuse syndromeは精神医学の標準的立場ではふつう認められていません。ですから、この症候群だと診断されることはありません。ところがこの症候群が存在すると主張する人たちは、資格のある心理カウンセラーや臨床心理士は役に立たない、ライフコーチ(特段の資格なしに人生についてのアドバイスをすることを仕事にしている人)に相談するべきだとも言っています。Narcissistic abuse syndromeやnarcissistic victim syndromeだと診断してくれない心理カウンセラーや臨床心理士に行くのはやめろと主張されているそうです。これは反科学的な主張で、(ライフコーチの)金儲け目当ての主張であることが疑われます。

また、ドクター・トッドによれば、この症候群があると主張する人たちは、ほかにも奇妙な主張をしています。自己愛性パーソナリティ障害については自己愛性パーソナリティ障害の人の近くにいたことがなければわかり得ない、というのです。実体験がないとわからない部分があるのは確かですが、実体験以外を認めないのは反科学的です3

誰が、なぜこの「症候群」を必要とするのか

つらい体験をした人が、つらさをわかってもらえず苦しむことはあります。また、他者から「なんとなくいやな感じ」を受けた人が、その「いやな感じ」を言語化したいことがあります。

そのようなときに使われているのがこの「症候群」なのでしょう。過去の知り合いにされたいやな経験をこの「症候群」に押し込めたいと思うのは自然ですし、凶悪犯にレッテルを貼りたくなるのも自然です。この「症候群」はSNSで口論するときの便利な道具にもなっているようです。

誰しも、自分の中で湧き上がる直感に印象的な呼び名を与え、もし反論されたら「実体験をした私にしかわからないことだ」と突っぱねたくなる衝動があります。しかし、素人心理学で反科学的な主張を繰り広げていては実りある議論にはつながりません。Narcissistic abuseという言葉が出てきたときには、その主張は眉唾物だと思った方が良さそうです。

  1. ガスライティング(gaslighting)とは、被害者に自分の正気を疑わせるように仕向けることだが、もっと広く、精神的虐待全般を指す言葉として使われることも多い。映画『ガス燈』に由来する言葉。
  2. テレビやYouTubeには怪しげな「ドクター」がよくいるが、ドクター・トッドはLinkedInのページによれば、博士号を持つ心理カウンセラーなので、正真正銘の「ドクター」である。
  3. ドクター・トッドもDSMの分類に入っていない概念でも、今後精神医学を発展させる役に立つ可能性は指摘している。しかし、学界が認めていない「症候群」を診断してくれないからといって専門家を拒絶するのは正しくない、というのがドクター・トッドの主張である。
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