なりたいと強く願ったわけでもないのに、ある日突然ネットスターになったら、ツラい……。
これがHuluで配信されたダミリオ家のリアリティ番組『The D’Amelio Show』の感想です。
リアリティ番組ではなく、ドキュメンタリー
この番組の主役はダミリオ家の4人です。TikTokフォロワー数1億2300万人のチャーリー(Charli D’Amelio)、その姉でTikTokフォロワー数5480万人のディクシー(Dixie D’Amelio)、母のハイディ、父のマークです。チャーリーは2019年にTikTokの投稿を始め、たった半年で850万人のフォロワーを得ました。その後も急成長を続け、モーフィーをはじめとする多くの企業とコラボし、動画アプリ発の大スターとなっています。大人気TikTokスター姉妹チャーリーとディクシーの、TikTok動画投稿に、楽曲制作に、アパレルブランドの企画に、と目の回りそうな忙しさの日常をカメラが追います。
チャーリーがブランドの広告塔を務める様子、ディクシーの“One Whole Day”の収録の様子、ディクシーが元彼グリフィン・ジョンソンに反論する様子もとらえられています。TikToker/YouTuberのロレイ(Larray)、ディクシーの彼氏でTikTokerのノア・ベック (Noah Beck)、チャーリーの元交際相手でTikTokerのリル・ハディ(Lil Huddy)ことチェイス・ハドソン(Chase Hudson)も登場します。
シリーズを通して、ダミリオ家の人々は実に常識的な、まともな人たちだという印象を持ちます。リアリティ番組は奇人変人をそろえて視聴者をびっくりさせるものですが、そういうところがまるでありません。家族の絆も強いのがよくわかります。飼い犬たちもかわいがられ、大事にされているのがわかるのも好印象です。
残念ながら、登場人物がまともすぎるのでリアリティ番組としては食い足りなくなっています。これはリアリティ番組ではなく、突然手に入った名声に当惑する姉妹を巡るドキュメンタリー番組だと思った方がよいでしょう。
ネットスターのツラさ
それでは、このドキュメンタリーのテーマは何でしょうか。それはネットいじめです。
このドキュメンタリーの大半を占めるのが、チャーリーやディクシーが愚痴を言ったり泣いたりするシーンです。夢に向かって走るティーンの姿を期待して観ると肩すかしを食います。
(2022年5月1日:削除されたYouTube動画をキャプチャ画像で置き換えました。)
毎日泣きながら、何度もパニック発作を起こすほどツラい仕事をしている17歳、それがチャーリー・ダミリオです。ネットの悪口を見ては泣き、笑いものにされているのを見ては泣きます。ツラくてしょうがない日常です。ディクシーも「音痴」「センスない」「臭そう」と悪口ばかり言われて泣いている19歳です。
このツラさは2人がこれまでも様々な場面で語ってきたことです。その意味で、新発見はありません。2人のツラさを再確認するのがこのドキュメンタリーです。
理解ある両親が重荷になるとき
家族の理解があるのもツラい。「理解がないからツラい」のではなく、「理解があるからツラい」。逆説的ですが、本当にそうなのです。
母ハイディがヘイトを浴びている娘たちを目の当たりにして涙ぐむのも、父マークがこれからはきっとよくなると励ますのも、親として正しい態度です。親元を離れて無軌道になり落ちていく未成年のスターが多いハリウッドで、チャーリーとディクシーの姉妹がまともでいれらるのは、娘たちと一緒にコネチカット州からLAへ移住し、娘たちに近づいてくる有象無象に目を光らせている両親のおかげでしょう。この手の「失敗した」スターの最近の例として、ミリー・ボビー・ブラウンの事件がありました。ダミリオ家の両親の娘たちを思う姿は失敗したスターの親とは対照的です。
チャーリーとディクシーの姉妹も、親がまともでなかったら、詐欺案件に巻き込まれて評判を落としたり、悪い連中とつるんでメインストリームメディアから切られたりしたでしょう。しかし、醜聞がなく、順風満帆だからこそ2人はSNSで批判を浴び続けています。これが不幸の原因です。親が悪かったら、いずれ親が悪かったせいだと思えるから救いがあります。家族の絆が描かれれば描かれるほど、救いがなくなります。
娘たちにスポンサー案件を禁じるのが両親の行動として一番まともだという考え方もできるかもしれません。しかし、ダミリオ家の両親は、娘たちの成功を願い、少なくとも普通程度にはまともな判断をしています。チャーリーもディクシーもまともな家庭で育ったまともな女の子という印象です。普通にまともだったのが姉妹の不幸の始まりでした。
シンデレラストーリー、プラス、ヘイト
ダンスが好きなだけの普通の女の子がスターになると言えば素敵なシンデレラストーリーです。これがチャーリーの物語だったはずでした。しかし、現代のシンデレラストーリーにはSNSでのヘイトが加わります。
悲しいことですが、これは構造上仕方ありません。同世代の少年少女のほとんどは、まだ何者でもなく、これから何者かになれるかもわからず不安を抱えています。彼らからすれば、すべてがお膳立てされて大金を稼ぐ一方で、批判されてツラいと泣いている2人の姿を見せられても、とてつもない幸運に恵まれた人が贅沢病にかかっているようにしか見えません。スターになりたくてたまらない人なら、姉妹に地位を自分によこせと言いたくもなるでしょう。姉妹への批判が正当なわけではありませんが、しかし批判が集まるのも必然です。
これは姉妹の問題でもなく、ヘイトをする人々の問題でもなく、社会の構造的問題です。姉妹はあまりにもかわいそうで見ていて気の毒です。世の中には多くのツラい仕事をしている人がおり、彼らは生活のためには仕事をやめられません。でも、チャーリーとディクシーは違います。いつでもやめられます。そんなにツラいならやめてもいいんだよと声をかけたくなります。
フォロワー数第一主義の犠牲者
周囲の人々もそうアドバイスしているかもしれません。それでもやめられないのは商業主義に絡め取られているからでしょう。このドキュメンタリーの裏のテーマは商業主義・資本主義批判です。新たな人物が出てくるたびにいちいちフォロワー数が明示されるのがその証拠です。フォロワー数という一つの数字だけで投資判断がされる現代のビジネスのあり方を浮き彫りにしています。
フォロワー数はダミリオ姉妹より低いけれど、スターになりたくてたまらない、スターになるためならどんな努力も犠牲もいとわない、そのような未来のスターはいくらでもいます。そのような人を発掘した方が、未来のスターも、ダミリオ姉妹も、彼女たちの作品を楽しむ人たちも、幸せでしょう。発掘と育成に手間をかけようとせず、フォロワー数1位という数字だけを見てダミリオ姉妹を起用するのは商業主義の怠慢です。
広告や楽曲の企画をお膳立てして普通の女の子たちをヘイトにさらすビジネスパーソンたちは醜悪です。姉妹を思いもしないところに引きずり出したTikTokのアルゴリズムも結果的にはその手助けをしています。このシリーズを企画・制作したHuluも同様です。制作者にはそのつもりはないのでしょうが、このドキュメンタリーはHuluを含めたメディア・広告業界・ビジネス全般への痛烈な批判になっています。
彼女たちのためにも、このシリーズの第2シーズンが企画されないことを願います。このシリーズを視聴してチャーリーとディクシーに同情したファンも多いでしょうが、このシリーズが2人を嫌う人々のヘイトをさらにたきつけている側面も否定できません。
このドキュメンタリーシリーズが『ブラック・ミラー』のエピソードの一つだったとしてもしっくりきます。スターになれるけれど不幸になるボタンがあったとして、あなたはそれを押しますか、という究極の選択についてのエピソードなのでは、と思わされます。このエピソードは早く終わりにしなければなりません。まだ17歳と19歳の2人が心の健康を取り戻すために。
Image: Famous Entertainment, thots n prayers