彗星が地球に衝突する判明したとき、現代の政治は、メディアは、そして人類はどのようにしてそれに立ち向かうのでしょうか? Netflixの『ドント・ルック・アップ』(Don’t Look Up)はパニック映画の形をとった現代社会の批評です。現代ネット文化の批評とも言えるかもしれません。
本サイトは主として米国を中心とした現代ネット文化を中心に取り上げています。その本サイトの読者のみなさまなら、「こういうことよくある!」と膝を打つシーンが何十回も出てきます。そして本サイトで何度となく取り上げてきた、現代のネットにありがちなやるせない成り行きも。
本記事は『ドント・ルック・アップ』のレビューです。一部ネタバレを含みます。
キャストとあらすじ
レオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・ローレンス、メリル・ストリープ、ケイト・ブランシェット、ティモシー・シャラメ、アリアナ・グランデなど、いずれも芸達者な大スターをずらりとそろえた驚きの豪華キャストです。
米国のある地方大学の天文学者たちが彗星を発見し1、地球に衝突する軌道を進んでいることに気づきます。彼らは世界中に警告を発し、人類の運命は一癖も二癖もある人々に託された……というほかの映画でも観たようなストーリーですが、残念ながらエアロスミスの名曲が流れる感動のクライマックスはありません。
本作を貫くのは皮肉なユーモアです。決死の覚悟で彗星の破壊のため飛び立つ「英雄」も登場しますが、不適切発言を連発する人物で、最後まで何の役にも立ちません。天文学者から第一報を聞いた大統領は地球の運命よりも選挙を気にして情報を隠蔽しようとし、大統領の息子というだけの理由で補佐官になった(らしき)大統領補佐官は絵に描いたような無能1です。
テレビのニュース番組に出演した天文学者はパニック発作を起こし、メディアは地球の滅亡も面白ニュースにしたがります。マーク・ザッカーバーグとイーロン・マスクとスティーブ・ジョブズとジェフ・ベゾスとビル・ゲイツを足して5をかけたような倫理をかけらほども持ち合わせないIT企業経営者が大口寄付者だという理由で政府を引っかき回し、元ヌードモデルで法曹資格を持たない人物が最高裁判事に指名され、マナティの保護を呼びかける歌手が浮気をした彼氏に生放送中に復縁を呼びかけられて涙しますが、それがこの作品の世界です。
要するに、いやになるほど現実世界によく似た世界です。
もし今、彗星が地球に向かって来ているならば、そのクライマックスにふさわしいのは、エアロスミスの名曲ではなく、アリアナ・グランデ演ずる歌手の「あたしたち明日はみんな死んじゃうのー」という歌です2。
なお、エアロスミスの“I Don’t Want to Miss a Thing”はこちらです。
『ドント・ルック・アップ』の描いたもの
『ドント・ルック・アップ』が描くのは、しつこいようですがエアロスミスの曲が流れない世界です。ヒーローは不在で、それどころか誰もが自分の小さな損得勘定にこだわりどこまでもせせこましい。
邪悪というよりは、ひたすら愚かしく、見るべきものを見ようとしません。本作を観る人は、映画に描かれるSNSの馬鹿馬鹿しいトレンドに笑いながら、現実にもそれが起こっていることに気づいて慄然とさせられます。
タイトルの“Don’t Look Up”も作中のハッシュタグトレンドです。彗星の接近を直視しよう(Look Up)という声と、彗星はまやかしだから気にするな(Don’t Look Up)という声が対立しているのです。見るべきものを見ないことへの皮肉が込められています。
この作品の制作が発表されたのは2019年です。新型コロナウイルスのパンデミック以前に企画されたことになります。ですから、その時点で制作陣の念頭にあったのはトランプ支持者と反対派の対立だったのでしょう。接近する彗星の警告が無視されるのは、気候変動についての警告が無視され続けてきたことの暗喩かもしれません。しかし、パンデミックで制作が遅れるうちに、パンデミックの状況も取り込んだかのような作品になったのだと思われます。
新型コロナウイルスについてはその存在を否定する意見、起源についての憶説、ワクチンについての危惧など、様々な意見がSNSで流布されています。各人がどの立場にあるかによって、本作が何を描いているのかの解釈は変わりそうです。ワクチン推進派なら効果をLook Upしようと言い、ワクチン反対派なら危険性をLook Upしようと言うでしょう。しかし、もし視聴者の誰もが自分をこの映画の主人公たちと同一化し、映画の愚かしい敵役たちを自分と対立している人々だと思うのならば、この映画の意図は伝わらなかったことになってしまうでしょう3。
厳しく、しかし優しい目を持った映画
作中では登場するあらゆる人物、あらゆる組織が批判され、皮肉られています。
ニューヨーク・ヘラルド(New York Herald)はいかにもありそうな新聞の名前ですが、センセーショナリズムに堕し、記者が暴露本を執筆するようなところとして描かれています1。テレビも、一瞬だけ出てくるリアリティ番組4も含めて、馬鹿の見本としてなで切りにされています。
余談ですが、あるメディア関係者が冷凍機を発明した一族の生まれだと語るシーンがあります。これはおそらくFOXニュースの司会者タッカー・カールソンのパロディでしょう1。
ネットではオンライン署名活動が盛り上がるのも、深刻なことについて「ハッシュタグ○○」や「○○チャレンジ」がすぐに流行するのも、ちょっとした振る舞いがミーム化してしまうのも現代のよくある出来事です。政治家が緊急演説で指導力があるふりをすれば支持率が上がり、彗星が地球に落ちれば雇用が創出されると宣伝されるのも、現実社会でよくある話です。上層部が私利私欲のため一般人を切り捨てたと判明したときに発生する暴動も、現実の暴動を連想させます。
主人公として、多少は同情的に描かれている天文学者たちも、批判の対象です。一般の人々には意味不明な専門用語で語り、ほかの科学者の発表について「査読済みじゃないでしょ?」と反射的に非難し、月並みな過ちを犯します。
このように、本作は厳しい皮肉に満ちていますが、しかし作品全体としては、現代社会・人間社会のどうしようもなさを諦観に満ちた暖かいまなざしで包み込んでいるようにも感じられます。映画の一番最後、スタッフロールの後のシーンは、間抜けな人物の愚かしさに対する優しさなのではないでしょうか。見落としがちですが、最後までごらんください。
注
- ちなみに、発見に使われたのはハワイのすばる望遠鏡という設定になっている。
- アリアナ演ずる歌手のファンがVroom Vroom armyと呼ばれているのも笑えるポイントである。アリアナのファンはArianator、テイラー・スウィフトのファンはSwifty、BTSのファンはARMYと呼ばれている。いやになるほど現実世界に似ている。本作がNetflixで公開されるのと前後してアリアナはTwitterアカウントを消したが、本作の公開とは無関係だと思う。
- Don’t Look Upと叫んでいた大統領の支持者たちが彗星に気づくシーンが挿入されているのは、やや楽観的過ぎるのではないかと思う。
- 『ザ・ジレンマ/Too Hot to Handle』に似ている。