美容YouTuberといえば炎上騒動ですが、もちろん美容YouTuberの本領は美容・化粧品です。美容YouTuberに人気があるのは、炎上を見物したい人が多いから(だけ)ではなく、美容に興味がある人が多いからです。
化粧をしないと外出できないという人も多いですね。現代社会には欠かせない化粧ですが、人類はいつ頃から化粧をしてきたのでしょうか? また、昔の人はどのような化粧をしていたのでしょうか?
今回は、化粧の世界史と、歴史上の化粧をまねてみたYouTuberを紹介します。
化粧の世界史
こちらの動画の内容に即して紹介します。チャンネルはArchaeology Soupです。
2008年、南アフリカのブロンボス洞窟(Blombos Cave)で黄土1が貝殻に詰められているのが発見されました。およそ10万年前のものだとされています(報告はこちら)。黄土は調合され、絵を描くのに使われたと考えられていますが、化粧や身体の装飾にも使われたかもしれません。
紀元前6000年のアナトリアのチャタル・ヒュユク(Çatalhöyük)では黄土が絵を描くのに使われていましたが、パレットやすり鉢もあり、体に色をつけるのにも使われたと考えられています。
紀元前3000年のシュメル文明では、墳墓から顔料やクリームの痕跡のある器が見つかっています。これも化粧品入れだったと考えられています。頭がアイメイク用のすり鉢になった大理石性の像も出土しています[動画3:30]。精巧な細工を施した化粧入れも見つかっています。
古代エジプトでも、アイメイクをはっきりつけていたことが壁画やネフェルティティの像からわかります。ただし、エジプトではアイメイクには魔除けでもあったようです。そのため、貧しい人たちもアイメイクをしていました。宝飾品やカツラも使われていました。携帯用の化粧品入れも見つかっています[動画4:30]。
古代ギリシアでは、白い肌と金髪が理想でした。女性たちは有毒な鉛白を顔に塗り、唇には酸化鉄と黄土をオリーブオイルで混ぜた紅をさし、炭をアイシャドウと左右の眉毛をつなぐのに(!)使いました[動画5:02]。古代ローマの女性もチョークや鉛白を顔に塗っていました。ローマ帝国の一部だったブリテン島からは、動物の脂肪と酸化錫を含むクリームの入った容器が発掘されています。これも肌を白く見せるためのものでした。
10世紀イベリア半島の旅行家イブラーヒーム・イブン・ヤアクーブはヴァイキングが男女ともに化粧をしたと書いています。ヴァイキングは女性よりも男性の方が化粧をよくしたという説もあります。
中世でも女性たちは美白のためチョークや鉛白を使いましたが、瀉血も美容目的でよく行われました。当時、血液の過剰で病気になることがあると考えられていました。血液を放出して捨てるのが瀉血です。当然、貧血状態になって顔が青白くなります。
イギリス国王エリザベス1世は白い肌で有名でしたが、歳をとって容色が衰えると、鉛白を厚塗りしました。有毒な鉛白は彼女の死の一因だったと思われます。
革命前のフランスでは、美白、口紅、カツラは貴族の間では常識でした。付けぼくろもはやっていましたが、これは天然痘などの病気の痕を隠すためでもありました。
試してみると……
メイクアップ・アーティストのリサ・エルドリッジ(Lisa Eldridge)は歴史上の化粧のスタイルを試してみました2。
試しているのは、
- 古代エジプト(男女ともにしたアイメイクを再現)
- 古代ギリシア(眉毛のつながったメイク!)
- 中世ヨーロッパ(キリスト教の思想家たちがメイクを人の目を欺くものだと非難したので、ナチュラルメイク)
- 16世紀のファッションの最先端、ヴェネツィア貴族(頬紅は辰砂3で赤く!)
- 革命前のフランス(貴族を平民と区別する頬紅)
- ヴィクトリア朝イギリス(厚化粧が嫌われたので口紅代わりに色紙をこすりつける)
- サイレント映画の女優(真っ黒なアイメイク!)
- 現代
です。
現代はどんなメイクも許されているし、ノーメイクでいることもできる、と締めくくられています。
Image: Mike Cunniffe, Carolina Pérez