化学ってどんなイメージですか? 難しい? 危ない? オタク?
興味はあるけど試薬なんて手に入らないし、という方もいそうです。興味があるにせよ、ないにせよ、敷居が高い印象があります。
そんな敷居が高い化学実験を見せてくれるチャンネルがNileRedです。きれいで魅惑的な実験が動画でたくさん紹介されています。学校で苦しめられた人も見飽きません。
NileRedとすてきなサムネ
NileRedは本名Nigel Braun(ナイジェル・ブラウン)、2014年からYouTubeに動画を投稿しています。チャンネル登録者数189万人です。名前の由来は蛍光色素のナイルレッドです。
これまで取り上げたテック系YouTuber(マーク・ロウバー、マイケル・リーヴス、アレン・パン)はだいたい雑然とした工作室での作業を動画にしていましたが、ナイジェルは違います。彼の動画はテレビのような撮影スタジオで撮影されています。サムネ画像も洗練されていて、古き良き科学番組の味わいがあります。
たとえばこちらの動画では妖しく光る緑色の物体がサムネになっています。これはウランガラスです。
ウランガラスは紫外線を受けると緑色の蛍光を発します。ウランは放射性物質ですが、ウランガラスに含まれるウランは微量なので、人体への影響はほとんどありません。しかし、今ではほとんど製造されず、流通しているのは骨董品が大半です。アンティークショップに並んでいるのを見たことがある方もいるのではないでしょうか。
こちらの不思議な形の黒い塊は磁性流体です。
マグネタイトやフェライトなど磁石になる金属の微粒子を液体の中に浮かべたもので、磁場の中に入れるとサムネのようにトゲトゲになります。磁石を取り除くとトゲトゲはなくなります。
ちなみに、これは自作を試みた動画なのですが、サムネの磁性流体は買ってきたものです。自作はしたものの、トゲトゲが出るほど質の高いものは作れませんでした。なぜうまくいかなかったのかを動画の最後では丁寧に考察しています。こんなに好感度の高いサムネ詐欺はなかなかありません。
超伝導物質を作る
NileRedは試行錯誤のプロセスを動画にしてくれています。
こちらの超伝導物質を作る動画でその様子を辿ってみましょう。
サムネでは下の黒い円盤が超伝導物質です。上の銀色のキューブは磁石です。超伝導物質は磁石を浮かせるのが特徴です1。
下調べ
まず超伝導物質について調べます。超伝導物質にもいろいろありますが、たいていは非常に低温でなければ超伝導になりません。たとえば–255℃ (18K)などです。こんな低温は特別な設備がなければ作れません。
しかし、イットリウム系超伝導体(YBCO)は–183℃ (90K)以上の温度でも超伝導になります。これも大変な低温ですが、液体窒素で作れる温度です。液体窒素は業者から買えます。
もっと高い温度で超伝導になる物質もありますが、詳しい資料がなかったり、作るのが難しそうだったりします。そこで、YBCOを作ると決めます。
Googleで検索すると、こちらに作り方の詳しい動画がありました。
しかも、この動画も何を参考に作ったのかを明示してくれています。こちらの文献でした。
詳細に作り方が書かれています。ところが、よく確認してみると原材料の分量の計算がおかしく、信用できないことがわかりました。
そこで、検索してこちらの論文に切り替えました。こちらは計算が合っています。
材料集め
材料のうち、酸化イットリウムと硝酸銅(II)はe-Bayで見つかりました。硝酸バリウムは見つからなかったので試薬会社から買いました。クエン酸は食べられるのでスーパーでも売っています。
e-Bayで買ったものは怪しいので、不純物を除く必要があります。硝酸と反応させると酸化イットリウムなら硝酸イットリウムなって全部溶けるはずですが、案の定、不純物が残りました。濾過して冷却し硝酸イットリウムの結晶を沈殿させ、さらに数工程を経て純度を上げます。
製作
硝酸銅(II)も水に溶けきらず沈殿物が残りましたが、硝酸を加えて溶かします。硝酸バリウム、酸化イットリウム、クエン酸を加えます。pHを調べると、かなり酸性に傾いていました。アンモニア水を加えて中和します。これによってイットリウム、バリウム、銅が水酸化物になります。
濾過してから加熱し、水を蒸発させます。加熱を続けると、もこもこと奇妙な物体が盛り上がってきます(動画13:24から)。これはクエン酸の熱分解反応です。
事件発生
できあがってきた物体を崩して全部混ぜ合わせます。これは酸化イットリウム、酸化バリウム、酸化銅の混合物です。これを焼結するための電気炉を探し、購入します。
しかし、ここで事件が発生します。運送中に電気炉が破損したのです。
幸い、外見上は少し傷がついているだけでした。ところが、動かしてみると、一瞬だけ電源が入って切れてしまいました。煙も出てきます。
やはり運送中に故障したのかと思いきや、電源の電圧を間違えたせいで壊してしまったのでした。
開けてみるとコンデンサが破損し、変圧器も熱で変形してしまっています。
製造元に問い合わせると、コンデンサは動作に重要ではない、ということだったので、変圧器だけ交換しました2。
いよいよ完成
酸素を通しながら電気炉で焼結し、YBCOの完成です。
できあがった黒い塊を液体窒素の中に浸し、冷却します。磁石を載せてみますが、浮きません。少々がっかりしますが、YBCOをしっかり固めないと弱いからかもしれません。また、化合物の酸化が十分に進んでいないことも考えられます。
そこで、この黒い塊を固めてペレットにし、再び電気炉で焼結します3。この焼結では酸化が進むだけでなく、結晶の成長も進み、より強い超伝導性を示すようになるはずです。
再び液体窒素で冷却し、磁石を載せてみたところ、浮かびました。
うまくいったので、今度は量を増やして同じ作業を繰り返します。うまくできたように見えましたが、今回は磁石が浮かびません。量が多すぎて酸化が十分進んでいなかったようです。
再びすりつぶして焼結したところ、うまくいきました4。磁石の上に冷却した超伝導体を載せると、リニアモーターカーのように走ります。
オープンな科学
実験はでたらめにやってもうまくいきません。先行研究の論文を調べて、内容を吟味し、自分でやってみて、うまくいかないところは試行錯誤します。それが科学のやり方です。
NileRedはそのプロセスをすべて公開してくれています。どのように実験対象を選び、どのように実験に必要な情報を集め、どのように材料と道具を集め、どのように確実性を上げ、うまくいかないときにはどのようにトラブルを解決するかを見せてくれています。もちろん、次はNileRedの情報を元に実験した誰かが情報を新たに付け加えます。情報を共有して検証しあい、誰でも使える知識していくのが科学の作法です。NileRedの動画を見ればそれがわかります。
NileRedは非常に手がかかった動画を投稿しています。投稿頻度は高くありませんが、それは質の高い情報を生み出すにはそれなりの時間がかかるからです。
NileRedの公式サイトではグッズも販売しています。普通のYouTuberのグッズと言えばパーカーやマグカップですが、NileRedは毛色の違うものを売っています。NileRedのロゴ入りのビーカーや、分子構造の形のキーホルダー、BZ反応のピンバッジがあります。ひとついかがでしょう?
Image: Alex Kondratiev on Unsplash, ThisisEngineering RAEng on Unsplash, Felicia Buitenwerf on Unsplash
注
- ピン止め効果。
- 父御の助けを借りたそうだ。
- ペレットを作るための道具もすべて動画の中で言及している。スペーサーを入れなかったので微妙に失敗したことも説明している。
- 動画ではさらにもう一度電気炉に入れてさらに強い超伝導体を作っている。